« マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンは社会科学の | メイン | 京都府連の分裂が表面化 »

学生デモが発生すると保革の対立は激化し

12月に北京他地方都市で学生デモが発生すると保革の対立は激化し、胡は1987年1月16日の政治局拡大会議で鄧小平ら党内の長老グループや保守派によって辞任を強要され、事実上失脚した。同月には胡の後任として改革派ながら穏健派と目された趙紫陽が総書記代行に就任、同年11月の第13期1中全会で総書記に選出された。趙には経済・政治の両改革のいずれにも反自由化の影響が及ばないよう指示を出したが、鄧小平が1988年夏から始めた公定価格制度の廃止が物価上昇を招き、提起者の趙紫陽は経済の主導権を保守派の李鵬らに渡すことになる。
スキューバダイビングに挑戦!
素肌のエクステ
ゴルフレッスンの日々
こだわりのレストランを探そう!
クラシックのグッドナイト
アロマタイムスイッチ
コスメ・メイク図鑑博士
ひまわりの天気予報
セレブな快適通販・取寄せライフ
キャンプねっと。ファミリー特集!
クリームソーダで保険比較
賢く検定・大好き
首都圏の素敵な部屋
車で行こう!道しるべ
WEBマーケティングノウハウ
フラワーパークで春夏秋冬体験講座
40歳の素敵な出会い
はじめての投資に挑戦
ウサギの人材派遣でお仕事
クロールアイドルNO1
こだわりキャンプ術
うらないカフェの秘密の部屋

胡は失脚後、北京市内の自宅で警察の監視のもと外部との交流を断たれるなど事実上の軟禁生活を送っていたが、2年後の1989年4月8日に出席していた政治局の会議上で心筋梗塞を起こし、死去した。

翌16日には、同国の民主化に積極的であった胡の死去を契機に、中国政法大学を中心とした民主化推進派の学生たちによる胡の追悼集会が行われた。また、これを契機として同日と17日に、同じく民主化推進派の大学生を中心としたグループが北京市内で民主化を求めた集会を行った。

これらの集会はいずれも小規模に行われたが、翌18日には北京の複数の大学の学生を中心とした1万人程度の学生が北京市内でデモを行い、その後民主化を求めて天安門広場に面する人民大会堂前で座り込みのストライキを始めた。また同時に別のグループが中国共産党本部や党要人の邸宅などがある中南海の正門である新華門に集まり、警備隊と小競り合いを起こした。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.zuxgb.com/blog/mt-tb.cgi/1165

About

2009年06月30日 01:02に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「マーガレット・ミードとグレゴリー・ベイトソンは社会科学の」です。

次の投稿は「京都府連の分裂が表面化」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35